気がつけば、社内セミナーを終えてから十日あまりが過ぎた。「AI時代の印刷革命」というタイトルで、1450年代、中世の印刷革命を鏡にして、いま私たちがくぐり抜けている最中のAI革命をのぞき込んでみる場だった。発表そのものは無事に終わったのだが、私の中に長く残ったのはスライドではなく、準備をしながらいつの間にか居座っていたひとつの考えだった。もしかするとこの文章は、その考えをゆっくりほどいてみようとする試みなのかもしれない。
始まりはひとつの動画だった。Claude Codeを作ったエンジニアのBoris Chernyが、ある発表でこんなことを言っていた。技術の歴史の中で、いま起きていることに最も似ている場面をひとつだけ挙げるなら、それは1400年代ヨーロッパの印刷機だと。聞き流してもおかしくない一言だったのに、なぜかその言葉が頭から離れなかった。ちょうど社内セミナーの発表を準備していたところだったので、どうせやるならと、この比喩をとことん掘り下げてみることにした。1450年代の印刷革命は本当にいまのAI革命と似ているのか、似ているとしたら、その革命の先はどこへ向かったのか。

印刷機が登場する前、本は人の手で一冊ずつ書き写すものだった。聖書を一冊作るのに、羊200頭分の羊皮紙とガチョウ数十羽分の羽根ペン、そして写字生の18か月が必要だったという。当然、本は貴重で、文字を書く人も聖職者や学者、貴族といった少数にとどまっていた。それが1450年代、グーテンベルクの印刷機の登場で風景が変わる。印刷所を持つヨーロッパの都市は50年で0から236に増え、本の値段は75パーセント近く下がり、世に出る本の数はまさに幾何級数的に爆発した。原作者と出版のあいだにいた写字生の座に印刷機が取って代わっただけなのに、世の中に存在する文章の総量が桁違いに膨れ上がったのだ。

この風景を2020年代にそのまま重ねてみたらどうだろう。コードを読み書きできる人は依然として少数だ。世界中でコーディングができる人は0.5パーセントほどだそうだが、1500年のイングランドで自分の名前を署名できた成人男性が10パーセント程度だったという統計と、妙に重なって見える。だからプログラムは長いあいだ、訓練を受けた少数の手でひと針ずつ作られる、数が少なくて高価なものだった。ところがいま、原作者と配布のあいだにいたプログラマーの座にAIが入り込み始めた。デザイナーが、会計士が、運営担当者が、コードをよく知らないまま自分のワークフローを自分で作って使う。セミナー準備でのいちばん大きな収穫が、まさにこの点だった。AIはデジタル時代の印刷機だ。印刷機が文章を刷り出したようにAIはコードを刷り出す。だとすれば、本がそうだったように、プログラムの数もこれから幾何級数的に膨れ上がっていくのではないか。印刷機の直後の50年間、本の供給が爆発したまさにあの区間を、私たちはいま、ChatGPTで生成AIが実用化された直後の2〜3年目として通っている最中なのかもしれない。

それなら、プログラマーは写字生のように消えていくのだろうか。セミナーの準備で印刷所の歴史を掘り下げるほど、私はむしろ逆の場面を目にすることになった。初期の印刷職人は、活字を自分で鋳造し、組版し、インクを塗り、刷り、校正し、製本して売りに出すところまで一人でこなす、ひとり起業家だった。ところが本があふれ始めると、印刷所の中の仕事は次第に細かく分かれていき、その過程で興味深いことに、いくつかの職業は消えるどころか新たに台頭してくる。印刷は途方もなくお金のかかる事業だったから、どの本を刷るかを決めるpublisherが生まれ、同じ誤りが数千部そのまま複製されてしまう問題のために、原稿を選別して磨くeditorと、試し刷りを原稿と突き合わせるcorrectorが生まれた。1472年、ローマのある印刷所は需要を読み違えたせいで売れない本を12,475冊も抱え、教皇に嘆願書まで送ったという。複製そのものが簡単になるほど、何を刷るかを判断する目と、ちゃんと刷れたかを検証する目は、むしろ貴重になっていったのだ。
私はこの場面が、AI時代のエンジニアの立ち位置を先取りして見せてくれているのだと考えるようになった。vibe codingが下げたのは、プログラミングのハードルの下限だ。誰でもコードを刷り出せるようになったが、刷り出したコードが実際のサービスとして生き残るには、速度や安定性、セキュリティといった技術基準を満たさなければならないし、何よりそれが、誰かが本当に欲しいものでなければならない。印刷所でeditorとcorrectorがそうだったように、プログラムがあふれる時代には、何を作るかを判断し、ちゃんと作られたかを検証する仕事が、エンジニアの新しい専門性として浮かび上がってくるのではないか。セミナーを終えてから、私はAI時代にはエンジニアの役割がむしろもっと重要になるはずだという、自分なりの確信を持つようになった。
印刷革命が終わりに近づくころ、世界は誰もが文字を読み書きする場所になっていたという。だとすれば、AI革命が終わりに近づくころには、誰もが自分だけのプログラムを作って使う社会になっているのだろうか。その時代の私はどんなエンジニアになっているのか、そしてうちの子はその世界で何を作りながら生きていくのか。ふたつの未来を並べて、そっと想像してみている。